本作は、「ロッシェル塩」という結晶が持つ化学的特性を利用した音響作品です。

ロッシェル塩はワインに含まれる酒石酸から生成できる結晶で、力を加えると電気を生じ、電気を加えると伸縮する特性(圧電効果)を持っています。この圧電効果が理由で、かつてロッシェル塩と山梨県のワイナリーは、大きな関わりを持っていました。
圧電効果はキュリー兄弟によって1880年に発見され、マイクロホンやイヤホン、スピーカーやピックアップ、潜水艦のパッシブソナーなどに幅広く応用されました。日本は太平洋戦争時中、ミッドウェー海戦で大敗したことを受け、同盟国ドイツからこのロッシェル塩製パッシブソナーの製造技術を教わり、取り入れました。その際、山梨県の「サドヤ醸造場」は日本軍の依頼を受け、酒石酸を抽出するためにワインを大量に生産したとされています。しかし、ロッシェル塩は熱や水分に弱く潮解しやすい上に特定の温度間でしか強い圧電効果を発揮しない不安定性から、戦後しばらくしてロッシェル塩に変わる素材が開発され、この技術は忘れ去られました。
こうした科学技術の発展と新技術の静かな浸透、それに伴う目に見えない自然や物質の消費、そして旧技術の忘却という一連のプロセスは、私にとって特に昨今目まぐるしく展開するAI技術の状況と重なって思えました。このことから私は、AIブームのさなかに忘れ去られた前時代の技術を再構築し、再提示することに意味を見出しました。

私は歴史的および技術的背景をリサーチし、それを基にした詩を執筆し、その朗読を再生する自作のロッシェル塩製スピーカーを制作しました。
制作過程では、過去の文献を参考に結晶の生成実験を行い、水溶液のレシピや結晶生成時の形状のコントロール方法を考案しました。
↑自作のロッシェル塩結晶。音響装置として使うには、結晶を板状に加工する必要があるが、独自の方法で生成段階から板状にすることに成功した。
また、コンセプトに即していることに加えて、結晶そのものの美しさを鑑賞できることから、無色透明のワインボトルを筐体に使用し、その内部に装置を組み立てました。
リサーチに際して、ロッシェル塩の歴史や応用技術について日米の資料を収集し、当時のロッシェル塩の研究で知られる小林理学研究所を訪問して専門的な助言をいただきました。最終的に、これらの調査をもとに詩を完成させ、AIを用いて音声化しました。
作品はケルン・メディア芸術大学エクスペリメンタル・インフォマティクスラボの合同展
ephemeral connectionsや公共ラジオ局ドイチュラントフンク(DLF)の
ケルナー・コングレス2024などで展示したほか、アムステルダム
EASSTカンファレンス2024にて、ロッシェル塩の研究とともに発表しました。
展示の様子。画面右は、関連作品で、ワインボトル内で結晶を生成したもの。(Photo by Alexandra Nikitina)
鑑賞者は作品を手に取り、耳に当てて詩の朗読を聴くことができる(Photo by Alexandra Nikitina)
自筆の詩は、他のリサーチ内容とともに冊子にし、配布しました。
私はぶどうだった。
私はひとつぶのぶどうだった。
私は一房のぶどうだった。
いつ、どうやって生まれたのかはわからない。
ただそこは南コーカサスで ギリシアの青いエーゲ海の傍で
ヨルダン川のほとりで クレタ島の白砂の上で
私はとにかく野生で、自然で、自由だった。
ヒトが家屋を持ち、ムギを育てて家畜を飼うようになった頃
ヒトは土を捏ねて土器を作り、
そこへ私を収めた。
私は醸されて、馥郁としたワインになった。
人々は私を口にして、気分を高揚させた。
私は美味しかった。
私はそれから古代エジプトに渡り、ギリシア、ローマを訪れ、
シルクロードを通って中国へ向かった。
私は栽培された。
ある日、土器の内壁が、淡黄蘗や深紅の宝石で、いっぱいに輝いているのが見つかった。
それは私の結石だった。
ワインから採れることから、酒石と呼ばれるようになった。
私は石になった。
ニュートンが光と色についての新理論を綴った頃
フランスの小さな港町ラ・ロッシェルに住む薬剤師のセニエットが、
酒石と炭酸ナトリウムから無色透明の結晶を作り出していた。
結晶は街の名前にちなんで、ロッシェル塩と名付けられた。
私は結晶になった。
結晶は薬として服用された。
エジソンが白熱電球の輝きを追い求めていた頃
キュリー兄弟はロッシェル塩に、音から電気を生み出す力を見いだした。
音のさざ波が体を撫でると、私は電気のことだまに翻訳した。
電気信号が私の体を通り過ぎると、私は体を震わせ口ずさんだ。
たちまち新しい道具が開発されて、
私はクリスタルマイクロフォンや、クリスタルイヤフォンなどと呼ばれた。
日本が太平洋戦争のミッドウェー海戦で大敗した頃、
私はドイツで海を聴く耳になった。
陽も差さぬ冷たい海の中、寄せ手の船の音を聞くのが仕事だった。
日本はドイツから技法を学び、醸造所に酒石のためのワイン作りを呼びかけた。
日本は「ブドーは科学兵器」だと言った。
私は科学兵器になった。
町も、空も、森も、山も、海も、みんな焼けた頃、
私は船と一緒に砕けて燃えた。
私は熱にも水にも寒さにも弱かった。
戦争が終わった頃、
科学兵器は必要なくなった。
酒石のためだけに作られたワインは酸っぱくて、飲んだうさぎは跳ねて逃げてった。
世界が回復するにつれ、科学も前に進み出す。
熱にも水にも寒さにも強い、音から電気を生む新たな素材が作られて、私は仕事も無くなった。
私はもう歌わなくなった。
私はもう翻訳もやめた。
私はもう武器じゃなくなった。
私はぶどうだった。
私はひとつぶのぶどうだった。
私は一房のぶどうだった。